対岸に火をつけろ

身長120cmの社会人。まだ誰のものでもありません。

ベッキー問題への違和感

世の中、正義というやつが幅を利かせている。

 

まあ、正義の反対はまた別の正義(野原ひろし談)なわけで

正義のぶつかり合いが起これば争いとなるわけである。

争いは「裁判」という形だったり「戦争」という形になるわけでその辺は裁量次第だろうか。

 

年末のガキ使で、ベッキーがタイキックを受けたというベッキー問題。

これについて「それは違法だ」と叫んだお方がいらっしゃるらしい。

なんだかおもしろいというか、違法なのか?というのがよくわからない。

 

ドッキリという体裁を取っていたとしてもある程度の台本なり、ベッキー側の選ぶ権利は存在するはずであり、「ドッキリの番組ですよ、ベッキーさんも危険ですよ」という了承を得ていた場合は「違法」になるのだろうか。

 

 

これは日本的「和を持って尊しとなす」精神かもしれないが、

それでも日本の番組や仕事づくりの上で重要なのではないだろうか。

例えば、ここでベッキーが蹴られたことにより仕事が増えるならばそれはそれでよし

という考え方もあると思うのだ。個人的にはこっちである。

 

しかし、ベッキーへの禊はいつ終わったのだろうか。

見たくない、って言う人もそれなりにいたような気がするのだが。

 

おいら的には不倫は当人たちの問題で、一般には関係ない問題だと思っている。

なので、見たくないというのはどういう感情構造なのか分からない。

 

不倫していたらアウトなのだろうか。

その場合は、徳川家康とかどうなるんだろうか。徳川家康も覚えたくもない歴史上の人物となるのだろうか。

 

「時代だからね」というのであれば、「不倫を許容できない時代」が嫌いなのであって「不倫」が嫌いというわけではなくなるのではないだろうか。

それともこんなめんどくさいこといちいち考えないのか。。笑